前回の続き。
London Life誌のマネージメントはThe Lord Puttnam/デヴィッド・パットナム氏の担当でした。(氏は後に「小さな恋のメロディ」や「ダウンタウン物語」「炎のランナー」などの映画プロデューサーとして活躍します。あのロジャー・ダルトリーの迷作「リストマニア』も!)
創刊時、パットナム弱冠24歳。血気盛んなロンドンっ子はどうしたら新雑誌を宣伝できるか考えたあげく、なんと、バート・バカラックに曲を作ってくれないかと話を持ちかけたのでした。若さってすごい。それがこれ「London Life 」。
Anita Harris – London Life
この時の面白いエピソードがCreative Reviewに載っていました。
パットナムはバカラックを訪ねる際、お供としてジーン・シュリンプトンを連れて行ったそうです。パットナム曰く、バート・バカラックは僕に会うより彼女に会う方に興味津々だったよとの事。そりゃあそうだろう!元々モデルとして大人気大活躍中であったし、65年、巷は公の場にナマ足ミニスカートなんて格好で登場した彼女の噂で持ち切りだったのだから。
65年のジーン・シュリンプトン嬢。見よこの美貌!この美しいおみ足!
それが功を奏したのか、バカラックは若者の提案に同意。曲はラジオで宣伝を流し続けますが、広告費はゼロです。作戦は大成功を納めたのでした。
バカラックのディスコグラフィーを見てみると、この65年から英国シンガーへの曲提供が急増したようですね。トム・ジョーンズ、マンフレッドマン、クリフ・リチャード。翌年シラ・ブラックやダスティら英国が誇る歌姫たち。
だからバカラックもこれからのロンドンライフに浮かれて、このオファーを軽いノリで受けたのかもしれませんが、まあそれにしても、バカラック御大(当時37歳)も鼻の下伸ばす事があるのかと思うと楽しいですな!
それに、これからジーン・シュリンプトンを「一番最初にミニスカートを着用した」「60s UKを代表するモデル」で「デヴィッド・ベイリー、テレンス・スタンプの恋人だった」に「バカラックをワクワクさせた」を追加しようと思います。
My Little Red Book – Manfred Mann (Film Version) – 1965
(マンフレッドマン最高!!)
はじめまして、あるでおと申します。
バカラック関係のブログを細々と書いています。
「 London Life 」にそんなエピソードがあったなんて! 「 London Life 」は1965年秋にシングルリリースされたので、パットナム氏がバカラックを訪ねたのは夏頃でしょうか。その年の5月にバカラックはアンジー・ディキンソンと結婚したばかり。いつだってバカラックはバカラックなんだなぁと、あらためて感じました。
「 London Life 」を歌ったアニタ・ハリスのバカラック集を拙ブログで取り上げようと思っています。関連する話として、是非こちらの記事を紹介したいのですが。リンクの許可をいただけると幸いです。
はじめまして。コメントありがとうございます。
そうなんですよ、私もこのエピソードを知った時はドキドキしました。
この話を知った上で曲を聴くとまた違った感覚があります。
また、もう少しその後の話もあったような気がします。調べてみますね。
あと、リンク大歓迎です!どうぞよろしくお願いします。
こんばんは、あるでおです。
許可していただき、どうもありがとうございます!!
さっそくこちらをリンクさせていただき、記事をアップしたところです。
失礼のないように…と思って書いたつもりですが、至らぬところがあるかもしれません。
その際はなにとぞご容赦ください。
追加の情報、もしありましたら何らかの形でお知らせいただけると幸甚です。
それでは!
ありがとうございます!
最初はルルが歌う事になっていたようですが、予定が合わず
アニタになったようです。レーベルメイトだったからでしょうかね。
私もtwitterであるでおさんのサイトにリンクさせて頂きます。
また追加情報発掘したらお知らせしますね〜
ユキエさま、こんばんは
Twitterで拙ブログを紹介いただきありがとうございました!
昨夜から今朝にかけてPV件数が増えて…
もしやと思ったら、そういう訳だったんですね。
こちらこそ恐れ多くって、恐縮しまくりです。
それと、「London Life」の追加情報、ありがとうございます!
さっそく昨日の記事に追記しますネ。
しばらく冷え込む日が続くようです。
くれぐれもお体をお厭いくださいませ。
では